2010年8月14日(土) 15歳の志願兵
会ったことのない祖父がいます。
正確には、いました、でしょうか?
祖父は四十代の始めに戦死しました。
終戦ぎりぎりに、本来ならば兵役に取られる年齢ではなかったにも関わらず、将校の不足から戦地へ赴くことになったのでした。戦地から家族へ向けて出した最後の手紙が二通、残っています。知り合いの企業経由で届いた手紙でしたので、当時通常では手紙に書けなかったような内容も記されています。以下最後の手紙にあたる文章の全文を引用してみます。
(人名は伏せました。■坊は、末っ子に当たる私の叔父の名前です。)
興味のおありになる方だけ、どうぞお読み下さい。
==============
基隆から高雄へ来てちょっと一服、二三日中に此所を出て愈々最後のコースたる目的地に向う予定、これまでは危機を切り抜けてきたが、これから先のバッシー海峡(比島基隆間)が想像以上の難関だ。先日は十一隻中十隻がやられたという。愈々文字通り決死の航程だ。この手紙の着く頃にはその運命の鳧が着いている。静かに運を天に任せて南の海を望んでいる。
出発以来基隆までも、実に四十余年間僕の味わった最大の難行苦行だった。暗黒の海、暗黒の船の中に暗黒の前途を考えつつ、敵潜水艦の恐怖に絶えずさらされている。
食事は二度、足を伸ばしても眠られぬ狭さ、便所に行くにも水一杯を得るのにも(?)からぬ苦労だ。これを考えれば内地の日常生活は如何に不自由でも如何に不満足でも実に極楽生活だ。愛する家族の顔をみて、何はなくとも三度の飯を食う。足を伸ばして眠られるという世界は今の生活からみれば本当に極楽浄土の思いがする。
苦しい中にいつもいつも皆んなの事皆んなの顔が次々に思い浮かべられる。数々の過去を反省して、もっと良き夫であり、もっと良き親であり度かった等という感じが泌々と脳裏に浮かんで来る。人の生命、人の運命などは大きな動きから入れば誠に弱く誠に果敢ないものだとつくづく感じられる。然し僕もお前の為、子供達の為、両親の為に強く運命と戦わねばならぬと思っている。
お前も子供等の親として強くあるようにお願いする。
病気も多分順調を辿っている事と思う。子供等も元気な事と思っている。思いがけず表記のお取引先に大変お世話になった。このお宅には今年二つの可愛いお子さんがいる。顔見る度に■坊の姿が思い出されてならぬ。
この次の便り、又この次にそちらから貰える便は相当先の事になるだろうと思う。●●君託送の手紙は嬉しく拝見。肌身放たず大切に持っている。
時間がなくて一々皆様にご挨拶も出来ぬ。面接の折はお前からもくれぐれもよろしく伝えてくれ。
では充分体を大切に摂養して呉れ。
================
走り書きで読みにくいところもあり、(?)は解読が出来なかった場所です。
祖父の亡くなった年齢を超えてしまった今となっても、この手紙を書いた祖父の、そしてこの手紙をただ読むことしか出来なかった家族の、祖母、私の母、叔父や叔母の思いは、私の想像に余ります。恐らくどこにも辿り着かない暗黒の船に、おそらくはただ海に沈む、それだけの為だけに乗らねばならなかった祖父。それはあまりに悲しく、そしてその、何の意味も無い死はあまりにも、ただひたすらに虚しい。その悲しさと底知れぬ虚しさが、私の知る唯一の「戦争」です。
私は戦争を知らない子供達の一人です。私の知る戦争は全て本や映像作品や漫画や、人の話、そしてこの祖父の手紙、そんなものからヒントを得た想像力の産物に過ぎない。誰かを、何かを守る為に自分の生命を投げ出さねばならない、そして人を殺さねばならない。そんな過酷な選択を迫られた事もない。そんな場所に追いやられた人、そして誰かをそんな場所に追いやってしまった人の心の内を思ってみようとはしても、想像に余る事ばかりです。ただ悲しい、虚しい、と繰り返すしか出来ない。
実は、上記祖父の話を、少し前に新聞記事にして頂き、
その際に家族と祖父話、戦争の話を少しする機会がありました。
私は「戦争を知らない子供達」ですが、母やその上の世代の人たちは、ギリギリ「戦争を知っている」世代でもあります。戦争に赴いた方、見送った方、または戦争を生き抜いた子供達。
私たちは多分最後の、「戦争を知っている人から直接話を聞ける、戦争を知らない子供達」世代になるんだろうなあ、と。そんな事も思いました。そして、そうあって欲しいなとも。
……といいつつ、この文章もかなり迷いながら書いています。
私が「戦争」という言葉に思いを馳せる事は、普段は殆どありませんから。自分の誕生日が原爆記念日に当たることから、原爆の小説を色々読んでみた事はあります。終戦記念日などには、やはり平和のありがたさや戦争の悲惨さについて思いを馳せる事もあります。でもその程度。所詮「戦争」は私にとって遠い世界の事であり、反戦運動やら、世界平和に何らかの形で貢献した事も無い。そんな平和ボケした人間の一人である私が「戦争」を、つたない知識で語る事に大いなる迷いがあります。そして、戦争において、一方的に犠牲者であった訳ではない、加害者である自国の歴史についても考えざるを得ない。そんな所も迷いの一つになります。
でも、やはり、私は人を傷つけるのが怖い。人を殺すなんて怖くて堪えられない。殺されるのだって嫌です。でももし私の背後に、大切な人がいたら。守るために殺さねばならないと言われたら。怖いなんて言っていられないと思う。そんな、殺されねばならない、殺さねばならない、そんな場所に追いやられたくはない。人を追いやりたくもない。だから、戦争は嫌です。
戦争なんて無ければいいと思う。
世界が平和であればいいと思う。
何も行動していないお前にそんな事を言う資格はないと言われても、ただそう思う。
一人でも多くの人が、「やっぱり戦争なんて、絶対嫌だよね」
と思う事は、決して無駄ではないと思う。無駄ではないと信じたい。
そんな甘いもんじゃないだろう、と言われてもそう信じたい。
そう、私はそんな個人レベルの気持ちでしか「戦争」を語る事が出来ません。
そんな自分に恥じ入りながらも。
何だか中途半端な文章になってしまった気もしています。
まだここに来ても迷いながら。そんな今日のブログです。
それでも、何も書かずに以下の番組を紹介することが、どうしても出来ませんでした。
「15歳の志願兵」というドラマの音楽を担当させて頂きました。
http://www.nhk.or.jp/nagoya/jyugosai/
8/15、終戦記念日夜9時から、NHK総合にて放映になります。
内容については、ご覧になって下さい、と申し上げる事しか出来ませんが、
自分だったらどうしただろう、どう出来たんだろう………。
私はそんな事を考えながら、この作品を見ていました。
ただ言える事は、いつの時代も人は、本当に真摯に生きているなと。
私は「人」が好きです。
真面目に、真摯に生きている「人」達が、
その真摯さ故に悲しい所へ追い遣られるような
そして真摯さ故に、誰かをそんな所へ追い遣ってしまうような、世界になりませんように。
そんな事が、少しでも少ない世界になりますように。
そう祈らざるを得ません。
-
私も戦争については祖母から聞いたぐらいで、自分で戦争に関する集会等に参加したこともありません。
ですが、そんな悲惨な歴史が現実のことであり、また現在も世界のどこかで紛争が起こっていることに心が痛みます。
では自分が実際そんな状況になったら?なんて考えられません。
人を傷つけたり殺すくらいなら、まずその状況から回避することを考えるでしょう。
世界中の人が自分を愛し、誰かを愛し、許しあえる世の中になって欲しいと願うばかりです。 -
この時期になると戦争番組なとが増えますね。
どれも目を背けたいと思うような内容ですが、「戦争を知らない世代」と呼ばれている私のような人たちこそこうしたものを真摯に受け止めなければと思います。なので毎年こまめに番組などには目を通すようにしてきました。
こういう言い方は良くないかもしれませんが、とても勉強になります。
私も曾祖父を終戦一月前に亡くしました。
しかしそれだけであって、戦争については何も知らないのです。だから映像資料や再現ドラマの存在は貴重だと考えています。
そうした作品の中に梶浦さんの音楽が使用されると言うのは、不適切な表現かもしれませんが、個人的には大変喜ばしいと感じています。
今年は目や頭だけでなくて、耳でも、戦争について思案できそうです。
長くなりましたが、15日の放送を楽しみにしています。 -
まずは、作品の番組への起用、おめでとうございます。
戦争とは一体なんなのかを考える前に、日本の、そして何よりも家族の事を思い、戦地に赴いたお祖父様のことは、どうか誇りに思ってあげてください。 -
この時期になると様々な〈戦争特番〉が放送されます。その中でこの番組は、見るのが辛そうな内容だけど、見たいという気持ちがありました。梶浦さんが音楽を担当されているからなんですね。
何もしていないなんて事は無いと私は思います。先日ある場所で梶浦さんが作られた曲を歌いましたが、その際「言葉を武器にした戦いをやめて」という気持ちを込めました。そういう所から〈始まる〉と思うんです。
私にも、会った事の無い伯父がいます。母の兄にあたる方で、一度だけ母宛の葉書を読ませてもらった事があります。それが私が初めて直接触れた〈戦争〉です。伯父は戦死しましたが、遺骨は無く、祖母が悔し泣きしていたと聞いています。
父はその伯父と同じ年にあたり、終戦をバンコク付近で迎えたそうです。生前、何度か当時の話を聞こうとしましたが、最後まで詳しい事は教えてくれませんでした。場所から考えて、想像を絶する経験をしたんだと思います。その事に気付いたのは父が亡くなった後。無神経な質問をした事を謝る相手も、一回り下で兄を亡くした、終戦当時10歳の少女だった母も今はいません。
そんな二人の間に生まれた娘の私は、同世代の友人に比べて、戦争に対する思いが強いようです。だから〈人の心の戦争〉から止めたいと歌い続けるのかもしれません。
今夜、忘れずに番組を拝見します。長文の上に私事、失礼しました。 -
中途半端な文章どころか、まっすぐな思いのあふれる文章だなと思います。
-
私の拙い表現ではうまく言葉に出来そうにないので簡潔に。
世界が平和でありますように。 -
番組の音楽ご担当おめでとうございます。
終戦の年に8歳だった母は、戦争体験の話を子どものぼくにずいぶんしてくれました。
空襲警報が出て防空壕に避難した時の話。
墓地に避難した人たちがみんな空襲で死んでしまった時の話。
戦後の食糧難の話や、向かいの家の息子さんが海岸で不発弾を拾っては、解体して中の金属を闇市で売っていた話。
その息子さんが、ある日解体に失敗して爆発で死んでしまった時の、一面に散っていたガラス片の話。
・・・今も戦争は世界のあちこちで続いているのですね。
人を死に追いやったり、自分が追いやられたりするのは本当にいやだとぼくも思います。
ドラマ、楽しみにしています。
長文、失礼しました。 -
梶浦さん、こんばんは。
この時期になると、あちこちで慰霊祭が行われたり、メディアも戦争の話であふれますね。
私は、仕事柄おとしよりの方々と接することが多いので、「戦争のころ」の話はよく耳にします。朝鮮半島に出兵していた祖父の話も聞きました。ベンチに座ってたり、道を歩いているおとしよりの方々は、みんな、信じられない時代の、過酷な境遇の中、がんばってがんばってがんばり抜いて生き延びた人たちなんですよね……。
もっとこういう番組や行事をやってほしいと思いつつも、たとえ一時期でも、みんなが「戦争」に触れて、ちょっとでも考える機会があるのは、大切なことだと思います。
明日(もう今日ですが)の「15歳の志願兵」も、絶対に観ます。ドラマと、そこに流れる音楽に込められた梶浦さんの思いも、大事に大事に受け止めたいと思います。
殺すこと、殺させること、殺されることは、「嫌だ」と思う。
それは、戦争について何かの行動を起こしてる人だけが口にできる特権ではなくて、ひとりひとりの胸に、当たり前の気持ちとしてあるはずですよね。
その「嫌だ」を「仕方ない」に変えてしまうような「理由」が、もう二度と生まれないよう、「戦争は絶対に嫌だ」と私は口に出して伝えていきたいと思います。 -
梶浦さん こんばんは~^^
私も戦争は全く知りません。でも何十年、何百年経っても怨恨が残る物と思っております。それは起こしてしまったら決して取り返しのつかないことだと思っております。
今日本は平和で、私はのほほ~んと自分の事しかしてない生活ですが、戦争や争い事を決して起こしてはならないという揺るがない気持ちは、いつも持っていようと思っております。
ドラマを観させていただいて、また再認識したいと思います。 -
こんばんは。
ドラマ、家族で拝見させていただきました。
つい先日、戦争を生き抜いて命を繋いでくれた祖父が亡くなりました。本当に、梶浦さんの言うとおり、私たちが「戦争を知っている人から直接話を聞ける、戦争を知らない子供達」の最終世代かもしれないです。
平和のためにどころか自分のことで手一杯な毎日な私ですが、無知でだけはいたくないと思っています。
平和な日常では、普段触れられない『戦争』と言うものに少し触れるきっかけを与えてくださってありがとうございました。
誰かが誰かを思って悩んで葛藤して苦しんで、それでも前を向いて歩いていく姿は、何時の時代も変わらなく愛しく胸を打つものだなと、そして思想や教育さえ都合よく変えてしまう戦争って本当に嫌だなと改めて思いました。
長くなりましたが、厳しい残暑が続いていますので、くれぐれもご自愛なさってください。
ブログとお仕事情報の更新、楽しみにしています。 -
とりいそぎ、ドラマ初見での感想を。
音楽とドラマ内容とのシンクロが印象的だったのは、講堂(?)で先生や将校の演説に生徒たちが引き込まれていくシーン。地の底から浮かび上がってくる恐怖感と、それに相反して湧き上がる高揚感に、ただもみくちゃにされる生徒たちの心…
そしてラスト、静かなピアノから始まり、穏やかな男声で奏でられるメロディー…
全体を通じて、過剰ではない、淡々とした演出が、戦争の只中にある登場人物たちを、現代の我々にも身近な存在として感じさせた、と思いました。
そして、我々がこれからも守らなければならないことを、再認識しました。 -
こんにちは。
ドラマを拝見しました。
ドラマというより、映画のように創られた作品でした。
我家も、戦争が無かったら、私が逢えていたかもしれない伯父達がいました。
それを思うと、ストーリーに引き込まれました…。
祖父だけが…生きて戦争から帰還しましたが、その祖父も、私が中学生の時に他界。
祖父の私への最期の言葉は…「楽しい人生を過ごしてください…。」
若者達が…未来を夢みる事すら許されなかった時代が、もう来ないように…そんな想いが伝わりました。
平和は、なんてありがたいものなのだろう。
素敵な音楽と共に、思い出させてくださいました。
ピアノ曲…涙が止らなくなりました♪ -
人はいろいろな事を知り、思う事が大事だと思います。
戦争を知らない私達ですが知り過去から学ぶ事ができるのだから。
世界に目を向ければ今でも形を変え戦争は続いています、残念ながら人は争わずにいられない生き物なのかと思わずにいられません。 -
『15歳の志願兵』がすごくいいドラマだったのでいろいろ検索してたら、この(Twtterで)このブログを知りました。
終戦間近のバシー海峡の輸送船通過といえば、ほとんど万歳突撃をするような状況だったと聞いています。それを考えつつ読むとすごく考え深い手紙ですね。
ドラマ以上に印象に残る手紙でした…。 -
こんにちは。
私も戦争を知らない子供の一人です。でもなぜか戦争をそう遠いものとして感じられません。梶浦さんのお祖父様に共感を覚えます。
日本がまた戦争に向かっていっているように感じてなりません。先日はテレビで史実にある戦争をゲームに仕立てて戦略がどうの、それにからめて企業の経営がどうのと言っていました。実際に人が死んだ戦争がモデルなのに笑ってゲームしてる!と恐ろしくなりました。
本当に戦争は恐ろしいです。赤ん坊の頃祖母の背に背負われて空襲から逃げた母は、記憶も定かでないだろうに、何度も空襲の悪夢をみたそうです。
私の友人の一人は徴兵制のある国の人です。18歳の時徴兵があるから、といって国へ帰っていきました。病気のために結局は免除されましたが、現代でも戦争が日常にある人はたくさん居るのだと実感しました。
私もなかなか行動には移せませんが、必ず選挙に行って、戦争好きじゃない政党に入れています。そして希望を持って身近なことから行動したいです。
コメントらしくない上に、長くなって申し訳ありませんでした。 -
頑張って下さい、応援しています^^
-
初めてコメントします。残念ながら、ドラマは拝見できませんでしたが、言葉にしたいと思ったので書かせてください。
現在住んでいるオーストラリアでは、本当にいろんな国の人と知り合うことが出来ます。イラク、オマーン、モザンビーク、チリ、ペルー、コロンビア、韓国、中国、台湾、イラン、サウジアラビア、アメリカ、イギリス、デンマーク、フランス…みんな仲良しです。 でも、心の中で、複雑な思いを抱いている人がほとんどです。
先日友人が言いました。飛行機が初めて作られてから、100年ちょっと、人は月にも行けるようになったのに、人間は、何十年も怨みを抱え続けている。それで良いのか?と。 また別の友人が言いました。過去に戦争があった国の人とも、いつかは手をつなげる気がする、と。
ちなみに私の彼氏は中国人です。二人の関係を親に話すのも、そう簡単ではありません。戦争、歴史が残してきたものは、こういうものなのかと、ただただ実感するばかりです。
貴重なお手紙をありがとうございました。
日本は猛暑だそうですね。お体に気をつけて頑張ってください☆ -
お仕事頑張って下さい!
体に気をつけて下さい!
大好きです
たくさんの笑顔と活躍をみせてください!
応援しています! -
いつも応援しています。
-
松前重義 バシー海峡 東條英機
↑ググると、おじい様の件を連想する内容の書いてある日記サイトが出てきました
知らないほうが幸せな事もあるかもしれませんが、何事も知ったなら考えて自分なりに受け止める。
でも、あらゆる考え方があるのだから決め付けない。
それが大事なんだと私は思います。
何気ないことでも、自分だけでなくみんなにとって良い道に
音楽を聴いて、それぞれどう感じるかと似てますね。
梶浦先生が音楽担当という事を初めて知った時から、このドラマが気になってました。久々に、真剣に観ようと思ってます。