ペルー旅行記その2 | FictionJunction

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2006年11月21日(火) ペルー旅行記その2

■ クスコ〜マチュピチュ

ペルーに到着して四日目でしょうか。リマからクスコへ飛び、その日の午後はクスコ観光……の予定だったのですが、ここで思いっきり発熱。何せ広いペルー。移動時間がかなり多く、移動疲れだったのかもしれませんが、体力の無さを実感しつつも半分意識が飛ぶほどの発熱に、梶浦ここで朽ち果てるのか……と今までの人生に思いを馳せつつホテルで半日ダウンしておりました。しかし日本から持参した薬の数々と、二時間毎に目覚ましをかけて無理矢理水分+ビタミンC補給といういつもの技(時々発熱するので熱を下げるのには慣れていたり)で無事半日で回復。普段は水風呂という最終兵器も使ったりしますが、さすがにペルーではちょっと怖くて出来なかった……。

クスコは高度3400m。高山病に注意、と言われていたのですが、正直発熱のせいで、どれが風邪の症状でどれが高山病なのか良く分かりませんでした(笑)。ただ二日目、熱が下がってからも時折若干の頭痛と多少胸が苦しい感じはあったので、あれが高山病の症状と言えば言えたのかも。でも大した事もなく。

そんな訳でクスコで一泊し、翌日ペルー旅行で一番楽しみにしていたマチュピチュ観光です。

■ マチュピチュへ

クスコ〜マチュピチュはまず鉄道で3時間40分ほど、その後バスで30分、という道乗り。
朝6時発の電車で参ります。

Train1

こんな電車

3時間40分とは言っても実際の移動距離は100kmほどだそうで、箱根登山鉄道も真っ青なゆっくり運転だったりはするのですが、この道中が非常に面白うございました。1000m以上の高度差を行くだけあって、周囲の景色、土の色、植物相が二度も三度もころころ変わるのですね。

ペルーは、特に田舎や郊外は日干し煉瓦の家がとても多いですが、(何せ自分で作れちゃうから安いし、とガイドのソニアさん談)クスコ周辺はともかく土が粘土質で赤いので家も赤い。

Ie

土が薄茶色い地域へ入ると家も茶色い。と非常に分かりやすい。
土の色が変わるといきなり畑が増えたり。
トウモロコシ畑はやはり多かったです。

Toumorokosi

二時間ほど走った頃でしょうか。
ソニアさん「はい、ここからジャングルです」
ここからっていきなりですか? と思いつつ、本当にいきなりジャングルな風景に変わりました。さきほどまで線路脇に頻繁に出現したサボテンやアロエなどはもう陰も形も無し。マチュピチュ近くになると、クスコ周辺の粘土質の土の中に岩が覗くような山々とは異なり、切り立った山は全て岩。「だからこの辺りでは煉瓦の家は造りません」だそうです。

Iwayama

ペルーは、砂漠からアマゾンまでともかく変化に富んだバラエティー豊かな土地だ、とは聞いていましたが、ナスカ周辺の風景も含めて、それを実感する電車の旅でした。

■ マチュピチュ

列車の執着駅からバスでくねくね道を30分ほど登り、マチュピチュです。
とりあえず一番高い所まで登り、「はい、写真スポットですよ〜!」でお約束の一枚。

Matu2

この周囲の広さをお伝えしたくパノラマ風に無理矢理繋げてみたんですが。
すみません画像処理下手くそで(笑)。
とりあえず、この切り立った山の上に繰り広げられる不思議な風景には、周囲の谷からのスケール感も含めて、シンプルにただ胸を打たれます。

石組みの精巧さ、地震が多い国ならではの耐震設計の見事さ、石組みの差異による階級社会の有り様、美しく機能的に整った水場、ともかく感心する事しきりではございましたが、その辺りはより詳しいガイドブックやサイトなどご覧頂いた方が早いと思いますので割愛。

実際見て驚いたのは都市部分を遙かに凌駕する畑の面積。「空中都市」だと思っていたマチュピチュは、住居や神殿部分を真ん中に据えた空中段々畑、そんな印象でした。

Hatake2

Hatake

こんな狭い場所にも畑が。下は断崖絶壁。
プチ高所恐怖症ピープルは、こんな場所で作業しろと言われたら、いっそひと思いに突き落として下さいと泣き崩れる事でございましょう。

尤も当時の挨拶は「怠けないで、盗まないで、嘘つかないで」だったそうで、怠けることは大罪。泣き崩れたくらいでは許して貰えそうにありませぬ。

まだ発掘されていない、今の遺跡から下った部分にもどうやらまだ畑があるらしいとか。
こんな場所で数百人を養うには、どんな土地も無駄にせず畑にする必要はあったのでしょうが、農作物だけではなく、神殿を飾る美しい花々の為の畑もあったのだとか。

Mokei

模型が好きだったというインカの人々。
分かります? この辺りの山々の模型が岩に刻んであります。左に聳えているワイピナチュの峰が、岩の左上の突起。中上部の上が平らになっている部分がマチュピチュ。

とりあえずまだ謎だらけのマチュピチュだけに、いやがおうにも想像力をかき立てられまくりです。

色々語りたい事はまだまだありますがきりがないのでこの辺りで。

今回はクスコ、マチュピチュを現地の日本語堪能なガイドさんに案内して頂いたんですが。
マチュピチュを発見したとされるハイラム・ビンガムの説ではここはこう呼ばれているけれどその後の歴史学者の説では……という説明を随分して頂きました。私が持っていたガイドブックには全てハイラム・ビンガムの説の方で説明されていましたが、真相や如何に。
発見した「とされる」と書いたのは、ビンガムはあくまで地元の住民から時間をかけて聞き出して、地元民が知りつつ隠していたマチピチュにたどり着いただけだ、とガイドさんが強調されていたから。

そんな説明、後日して頂いたクスコの町のガイドも含め、ペルーの方にとってはインカを滅ぼしたスペイン人は無論、そしてハイラム・ビンガムもある種の「侵略者」として捉えられているのだなあ、と感じられる部分が節々にございました。(ビンガムの率いる発掘隊が持ち去ったマチピチュの『宝』の数々はまだペルーに返還されていないそうで。今後返還の予定はあるという話ですが)ペルー在住の方の殆どがインディオと呼ばれる昔からの住人とスペインの混血で、そんなガイドさんにもスペインの血は流れている訳なんですけれども。尤も、その辺りの感情には都市部に住んでいる方、そうでない方、また個人個人で(当然ではありましょうが)かなりの差があるという事ではありますが。とはリマを案内して下さった日本人のガイドの方談。

色々な意味で興味深いマチュピチュ観光でございました。

■ 帰途

さて、再び3時間40分の列車の旅です。
電車が出発してしばらくすると、いきなり謎のアルパカ男登場。すわ何事!?

Alpaca

いきなり踊り出す彼。

腰にアルパカ風のぬいぐるみを付けていたんでとっさにアルパカ男と命名してしまったんですが(こら)。正確にはリャマ。「リャマ使いの踊り」という伝統的な踊りを電車の中で披露するというサービスなんですね。しかし彼、この電車の乗務員さんなんですが。さっきまで普通に制服着ていた彼がいきなり踊り出す素敵な列車。その後チップを集めて回る。

そしてその後、「我が〜鉄道が扱っているアルパカ製品は品質も最高で……」というアナウンスがあった後、いきなり車内ファッションショーが始まりました(笑)。モデルはこれまた乗務員さん達。車両の後部でひたすら着替えて、車内を練り歩きます。

Show

売れたんだろうか……。

車内は大受け、大歓声でしたけれども。
お客さんが「私にも着せろ!」と乱入モデルを買って出たりしていました。
さすがに往復9時間に及ぶ日帰り観光は疲れはしましたが、退屈だけはしない旅でございましたことよ。

ちなみにマチュピチュは、現地までバスで行けはしますが遺跡内部は割と起伏もあり、歩きやすい靴は必須ですね。階段をあれこれ歩いている内に私も結構息が切れて来た……のは高度のせいにしたい今日この頃。でも翌日ちょっと筋肉痛になりました……。雨期には合羽も必要ですね。観光し終わって昼食を取っている間、スコールのような雨がざーっと降っていました。


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  1. より:

    ん~都市畑。
    都市に畑があるのではなく畑に都市があるというか畑に見えた。特に煉瓦の家が、畑に煉瓦が生えている様でした。
    インディオといえば確かシーソーのアルバムに入ってましたが新曲と何か関係が?
    アルバカ男には困りましたね~突然踊りだして挙句の果てに金よこせって(こら!)・・・梶浦さんドイツってそんなのりなん?(笑)
    梶浦さん・・・服、買わなかったんだ・・・
    模型わからんかった・・・目がとにかくしょぼしょぼします。。。
    パノラマ写真はあれでしょ~飛び出す絵本みたいにしたかったんでしょ。雲は触れましたか?やっぱりまじかじゃないとスケールはわかりません。
    トウモロコシは食べましたか?まちゅぴちゅのお宝って宝石か何かでしょうか?あ~目がしょぼしょぼ梶浦さん目大丈夫?私も今目にスコール欲しいです。でも怠けないで、眠らないで、飛ばさないでがんばります。(笑)

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